栃木県議会議員1期目を務めていた津久井富雄氏は、平成22年3月栃木県大田原市長選挙に、県議を途中辞任して挑戦、6期目を目指す現職候補を破り初当選を果たした。市長としての初登庁を翌日に控えた津久井氏に、ご自身の選挙体験、若い政治志望者へのアドバイスなどをうかがった。
もくじ
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- 1. 政治を馬鹿にする者は政治に馬鹿にされる
- 2.相手の苦労、苦しみや悲しみに寄り添う
- 3.49歳で市議、57歳で県議
- 4.首長選への挑戦
- 5.県議選と市長選の違い
- 6.絶対に気をゆるめてはいけない
- 7.トラブルに動じるな
- 8.ノウハウに縛られるな
- 9.政治に対する真剣で切実な関心が高まってきた
- 10.政治に背を向けている人たちにどう訴えていくか
- 11.市長を目指すのに適した年齢
- 12.最後にみんなに褒められたら幸せ
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―津久井さんと政治との関わりについて教えてください。
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農場を経営していた頃の津久井氏
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僕が生まれた家は地元の水稲農家だったんだけど、子供の頃、親父が市会議員を2期ぐらい務めてね。当時の選挙っていうのは、家族の負担が今よりはるかに大きかったんだ。
それで子供心に、こんなに大変な思いをしてまで政治の世界に入る理由はないなって思って。若いころはどちらかと言うと、政治の世界を避けて生きていたんだ。
言葉は悪いけど、ある意味、政治を馬鹿にしていた。
あの頃は、お金を目標にして生活設計をしていたほうが楽しかったし、事業をどんどん拡大することに夢中だったな。それで自分も周りの人たちも豊かになっていったし、事業を通じて、世の中のために役立っているという誇りもあったんだ。
−どのような事業をされていたのですか。
肉牛の肥育を中心にした農業だね。
19歳で実家の水稲農業を継ぎ始めたときが、ちょうど国の減反政策が始まった頃でね。これからは米だけではやっていけなくなると思って、野菜だとか花木だとか、いろいろ試行錯誤した。25歳ぐらいのとき肉牛に目をつけて、やっていける目途がついたところで本格的に肉牛肥育に切り替えて、そこから規模をどんどん拡大していった。
そうやって規模を拡大する中で、農業施設の建設やメンテナンスを手がける事業にも進出したり、北海道で経営が苦しくなっていた農場の経営を任されるようになったり、地域循環型農業をやりたいと集まってきた若い人たちと一緒に酪農も始めたりと、とにかくもう夢中だったよ。
−政治とは距離を置いていた津久井さんが、どのようなきっかけで政治の世界に入っていったのですか。
自分で事業をやっていると、いくら政治とは距離を置こうとしても、政治の影響力の大きさを痛感しないわけにはいかなくなる。
一番大きなきっかけになったのは、牛肉輸入自由化や狂牛病の問題が立て続けに起きたときだった。こういう問題に対する政治家の対応というのが、あまりにも現場を知らなすぎるんじゃないかという不満を、自分で牛を飼っている者として、ものすごく感じてね。
あまり政治を馬鹿にしていると、政治に馬鹿にされる社会が出てきてしまうぞ、っていう危機感を持つようになって、それで政治の世界に進む決意を固めたのが、49歳のときだった。
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津久井氏が所有する北海道の農場
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−「政治の世界に進みたい」という夢を持つ人はたくさんいても、実際に政治の世界に入れる人は一握りです。夢が夢のままで終わる人と、夢を現実にできる人の違いは、どこにあるのでしょうか。
やっぱり政治家の場合は、周りの方々との信頼関係が深まるような生き方をしてきたかというのが大きいんじゃないかな。「私、政治家になりますから」って言って急に身を正してみたところで、今まではなんだったんだということになってしまうよね。
ふだんの生活から、人に密着して、相手の苦労とか、苦しみとか、悲しみとか、そういったものに、さりげなく関わる。さりげなくね。わざとらしく関わっても、人っていうのはすぐわかるから。「あの人と接していると安心できる」とか、「問題が解決する」とか、そういう存在でいられるように心がけることが、大事だと思うよ。
−49歳で政治の世界に入る決意を固めて、最初に挑戦した選挙は何でしたか。
49歳で、地元大田原の市議会議員選挙に出たのが最初だった。このときは、幸いにも当選させていただくことができたんだ。
その後、市議を3年務めさせていただいた頃に、県議会議員選挙に挑戦しないかという話をいただいた。ちょうど先輩議員が引退される時期でね。僕も市会議員でできることに限界を感じはじめていた頃だったし、農業を経験している県議会議員はとても少なくなっていた。だから県の政治に農業の代弁者として関わりたいという気持ちもあって、思い切って市議を辞任して、県議選に挑戦したんだ。でも最初の県議選は落選だった。県議に当選させてもらえたのは二度目の挑戦、57歳のときだったよ。
−政治家としてよりたくさんのことができるようにというのが、市議を辞任して県議選に挑戦された動機とのことでした。今回県議を辞任して市長選に挑戦されたのも、同じ動機でしたか。
もちろんそういうこともある。だけど今回の場合は、政治をめぐる状況が大きく変わったというのが大きかったな。
僕が県議になったときというのは、まだ小泉政権の頃でね。もう末期に入っていたとはいえ、自公連立の長期安定政権で、まぁ自民党の流れに入っていれば、政治力としては大きな活躍ができた時代だったんだ。
ところが民主党政権が誕生して、国と県と市を結んでいたパイプが切れてしまった。地域の問題の解決をなんでも国任せにするようなこれまでの政治スタイルは、もう通用しなくなった。
そういう大きな政治状況の転換の中で、地方こそが、その転換に真っ先に目覚めていち早く行動を起こしていけば、国の変化さえも主導していくことができるんじゃないか。国の財政難とか少子高齢化の問題も、自分たちの基礎自治体である市町村から、解決していかなければならなくなったんじゃないか。
そういうふうに思ったのが一つ。
それから、首長というのは絶対権を持っているから、同じ人があまりにも長期にわたってその職にあると、どうしても腐敗とか独裁化の問題が出てくる。この大田原でも、そういう弊害が見え始めていたんだ。これは首長個人がいいとか悪いとかの問題じゃないんだよ。権力というものが持つ、いわば魔力なんだ。
こういう状況の中で、この地域で生まれ育った政治家として今一番いい選択肢は何だろう? と考えたときに、市長選出馬がやはりベストだろうという結論になったんだよ。
−市長選に挑むにあたって、ご家族には相談されましたか。
僕は家族とは常に相談するようにしてる。今回も相談したんだけど、そんなに快くは賛成してくれなかったな。
−ご家族は心配されたのですか。
心配というより、市議に初当選したときも一期終えずに県議選に出て、それで落選だったでしょう。今回も県議初当選で一期終えずに市長選への挑戦だったから、家族に限らず、周りの人たちはみんなびっくりするよね。
−周囲の反対を押し切っての市長選出馬だったのですか。
いや、今回の場合は、周囲の反対を押し切ってという感じではなかったな。出馬を促す周りの風が相当強くなってきてね。その風を感じたときに政治家として何を選択するべきなのか、いろいろ悩んだ末の決断だったよ。
正直に言えば、そのまま県議の任期をまっとうしたいっていう気持ちのほうが強かった。年齢的にもそんなに若いわけではなかったし。
自分の意志で進んでいくというスタイルの政治家ももちろんいらっしゃるけど、僕の政治スタイルというのは、みんなで作り出していくという考え方がベース。
支援をしてくれた人たちがどういう思いでいるかっていうことを、まず第一義に考える。それを判断材料にしつつ、自分ができるかできないか、本当にやるに値することなのか、ということを第二の判断材料にしている。
今回の場合は、その二点が合わさって、市長選出馬という結論になったんだ。
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市長選出陣式にて
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−県議選と市長選で、大きな違いはありましたか。
あったねぇ。
−どんなところが違いましたか。
まず県議選の場合は、政治的な理念の部分でかなり心を動かしてくださる方がおいでになる。これが市長選になると、身近な生活の問題をどう解決するのかを明確に示せなければ、投票してくださる方は少ない。やっぱり最後には、実際に市長になったら具体的に何をやってくれるの? というのが来る。
それから、県議選はこの地域では二人区で、現市長も前回の県議選では僕を応援してくれたんだ。二つの議席を争う三人の候補者の中で、僕を含む二人が市長派という形だった。だけど今回の市長選は、その現市長を相手にしての一騎討ち。これはもうバックがぜんぜん違う。向こうのバックのほうが断然強い。その強い相手に、僕のほうがチャレンジャーとしてぶつかっていく選挙だった。
出馬表明をした時点では、だいたい7:3ぐらいの割合で向こうのほうが強かったんだよ。
−7:3というと、ふつうはやめておきたくなる数字だと思うのですが、その比率をどうやって逆転していったのですか。
それはもう、津久井富雄がなぜ今回の市長選に臨むのかということを、ひたすら地道に訴えていったんだよ。これを有権者の方にわかっていただくのが、とにかくベース。
これをきちっとやらなくては、いかなる戦術を用いたところで、有権者の方の支持をいただくことはできないよね。
−特に意識したのはどのような点ですか。
一番意識したのは、政治姿勢の違いを有権者の方々に理解してもらうこと。5期やられている方の政治姿勢と、私の政治姿勢がどういうふうに違うのかを、できるだけ明確にするように努めた。
あとは、現市長は支持しないけどかといって津久井も支持しないという、いわゆる無党派層とか浮動票とか言われる方々に対して、自分たちのメッセージ性がどれぐらい高いかということも意識したかな。
「相手候補と闘う」という意識では、選挙って闘えないんだ。有権者の方々と共同歩調を取ることで、有権者の方々に少しずつこちらに歩み寄ってきてもらう。反対側では、相手候補が同じように有権者の方々に歩み寄ってもらおうとしている。そういうイメージだね。
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街頭で支持を訴える
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−そうやって少しずつ支持者を拡大されて、告示の時点では、7:3だった比率がどれぐらいまで変化していましたか。
告示の時点で、ほぼ五分五分ぐらいまでは縮まっていたかな。
−まだ五分五分だった?
うん。その前の公開討論会の時点で、だいたい五分五分だろうという感じはしていた。
だけど、告示のとき自分の心の中で「勝った」と思ってしまったら、その時点で負けだろうね。
−そんなものですか。
うん。そんなものだよ。勝ち負けは確定したときにしかわからならい。その前は「だろう」の話であって、未確定なんだから。
気がゆるんだり、はしゃいだりすれば、もうその時点で、相手がすごい相手だったらすぐひっくり返される。
−実際、選挙の途中で気がゆるんでひっくり返された、という場面を目撃されたことはありますか。
むしろ破れている方って、多くはそういう形で破れているんじゃないかな。
−勝ったと思って負ける?
うん。勝ったと思って負けてる。候補者本人に危機感がなくなると、支持してくれている方々も安心してしまう。
−じゃあ、当選確実が出るまで、絶対に危機感をゆるめてはいけない?
絶対にゆるめてはいけない。もう選挙は毎回。いつも。
−どんな大物でも?
どんな大物でも。
−外野から見ると、もう告示前から結果がわかってる選挙なんだろうなんて思うこともあるのですが、中にいる方々の考えは違うのですね。
たしかに予想通りに結果が出てくるケースが7割8割だとは思うよ。
でもこのあたりの地域は、ものすごく厳しい選挙をやってきたところなんだ。大差をつけて勝利したっていうケースは、むしろ少ない。僕が県議選で破れたときは、231票差だった。知事選でさえ、800票差で決まってるんだよ。何十万票と集める選挙が、わずか800票でひっくり返る。絶対に勝てるだろうと思って、途中で「勝ったーっ」って言ってたら、最後に差されてね。
−すさまじいですね。
うん。だからよその選挙区とはぜんぜん違う。最後の最後まで、開けてみるまで結果はわからないというのは、僕らは身に染み込んでるんだ。
実際僕が市長になれるかどうかは、今だってわからないんだよ。
−え?
もう当選は確定してるよ。でも、もし僕が病気になったり、交通事故にあったりしたら、これはわからない。
−まだぜんぜん気はゆるまない?
ゆるまない。
政治というのは、特に首長選挙というのは、ある面、権力闘争だからね。権力を握って手放さないためには手段を選ばないという人だって、中にはいないとも限らない。それぐらい政治というのは、ある意味恐ろしい世界なんだ。首長選に出るというのは、ふつうの議員選に出るのとはわけが違う。
−質が違う?
ぜんぜん違う。覚悟してかからないといけない。おもしろおかしく入っていい世界じゃない。負けるんだったら問題はないけど。
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「首長選に出るには強い覚悟が必要」
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−「途中で気を抜いてはいけない」というのは、候補者本人でけではなく、支持者の方々もですよね。支持者の方々の気持ちを一つにまとめ続けるには、どのようなことを心がければよいのでしょうか。
特別な仕掛けというのはないんだけど、「何があっても動じない」というのは大事だと思う。
選挙の期間というのは、非常に異常な状態でね。ふだんならなんでもないようなことや、本当にさりげない言葉が、過大に評価をされてみたり、過大に反応されてみたりといったことが起きてくる。
そういうとき、「相手はこういうことをやってる、おまえらはなにをやってるんだ!」みたいに、過剰反応しない。過剰反応は、疑心暗鬼を生む。
もうこのスタッフでやっていくとなったら、スタッフを完全に信頼する。
で、脇はゆるめない。
−トラブルは当然のように起きる?
起きる。もう、あたりまえのように。
−そのとき動じない、と。
動じない。自分が不安がったり、恐れを持ったり、疑ったりすれば、必ず相手に伝わるから。
−相手というのは自陣営の人たちですか。
陣営の中にも伝わるし、相手方にも伝わる。
相手方が何を考えているのかというのは、手に取るようにわかってくるものだよ。あの候補者がどういうことを考えているかとか、あのスタッフの誰々がどういうふうに考えているかとかね。
−そのわかってくる感覚というのは、選挙期間中に異常に研ぎ澄まされてくるものなのですか。
僕の場合は、そういうふうに感じる。何か一つの現象がポーッと出てくると、それでだいたい、こういうふうに出てきてるというのが手に取るようにわかるというか、見えてくるというか、そういう感覚というのはあったね。
うちの動きに対して、相手はこういうふうに来るだろうから、こういうふうになるだろうとか。
ある意味、将棋の世界と同じじゃないかな。
−将棋ですか。
うん。何手先も読むんだよ。
だからふだん生活の中で、目の前の現象に右往左往しているような人は、選挙には出ないほうがいいかも知れない。
−将棋のように次々に局面が変わっていくものだとすると、選挙というのは、最初に立てたプラン通りに進めていけるようなものではないわけですね。
選挙って人の気持ちだもん。
−選挙は人の気持ち‥‥。
最近はよく天気予報が当たるようになったけど、明日の人の気持ちなんて誰も予報できないでしょう。だから図面通りにことが運ぶなんていうことは、まずあり得ない。
それに選挙もやっぱり勝負ごとだから、打ち手は早くてもだめだし、遅くてもだめ。そのときどきで瞬時に判断していかないといけない。
−あまりノウハウ的なものに頼らないほうがよいのでしょうか。
うん。選挙は毎回相手も違うし、背景も違う。ある選挙で勝てたやり方を、別の選挙でもやれば勝てるかというと、それはやっぱり勝てないよね。
−選挙中のいろいろな行動は、お一人で考えるのですか。
いや。やっぱり信頼できるスタッフと相談しながら決めている。
うちはイエスマンっていないから、「俺はぜったいこれでいける」と思って出した案にも、たいてい異議を唱える人が出てくる。むしろ反対意見を言ってくれそうな人を選んで、自分の考えを聞いてもらうようにしてるよ。
−そうですか。
僕はイエスマンも好きなんだけどね。僕も疲れてるときは、はいはいって、なんでも言うこと聞いてほしいよ(笑)。でもやっぱり大事なときには、反対意見を言ってくれる人を大切にしたい。自分とは正反対の考えの中にも、よく聞いてみると、自分では考えつかないようないい考えが含まれてることが多いんだよ。
だから自分の信念というものはしっかりと持ちつつも、いったんは自分を否定する。自分を否定すれば、隙間が開く。開いた隙間に、人の意見が入ってくる。入ってきた人の意見に、自分の考えをぶつけてみる。そうすると、よその人が考えつかないような発想が出てくる。
自分を信じきって、人の意見を入れる隙間を作らなかったら、新しい発想は出てこないよね。
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当選確定を支持者や家族と祝う
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−時代の変化とともに、選挙のあり方も変わっていくものなのでしょうか。
当然変わっていくでしょう。
−選挙のあり方という観点で見たとき、今の時代の変化をどのように感じていらっしゃいますか。
国民のみなさんが政治というものに対して、真剣で切実な関心を向けられ始めていることを、ひしひしと感じる。
今まではそうじゃなかった。
若い頃の僕がそうだったように、心のどこかで政治を馬鹿にして、政治に背を向ける人が、あまりにも多かった。
政治って本当はものすごく大切なものなのに。
政治家なんて誰がなっても同じだと思っている人が、あまりにも多かった。
悪い政治家が出てくるのを許してしまえば、そのつけは必ず自分に回ってくるのに。
ある面それは、政治に無関心でいられるほど、日本が豊かだったということなんだろうね。
でもこれからはそうじゃない。日本経済の衰退が誰の目にも明らかになり始め、少子高齢化が進み、国の財政は悪化する一方だ。このままいくと日本はどうなってしまうんだろう、という不安を、誰もが感じはじめている。
どうすればこの不安な状況から脱することができるのか、その答えを出して、みんなを引っ張っていかなくちゃいけないのは誰かといったら、やっぱり政治家なんだ。
そういう政治家が出てきてくれるのを、みんなが待ち望んでいる。
だから僕は、人のために尽くす生き方がしたい、今の日本をなんとかしたいという若い人たちに、もっともっと、政治の世界に入ってきてほしい。
そういう高い志を持って、さっき言ったように人の悩みや苦しみに寄り添う生き方をしている人。絶対にやりとげるという強い信念を持っている人。途中であきらめない人。そういう人は、必ず当選する。当選しないはずがない。
残念なことに、これまでは学力もステータスもあるような優秀な人たちが、政治を馬鹿にして、自分だけが儲かればいいという世界にばかり行ってしまっていた。
そういう人たちこそ政治の世界に入ってくるべきなのに。そういう優秀な人たちが国を引っ張っていってくれたら、今の日本経済のこんなていたらくはあり得ないのに。
だから僕は、こういう状況を危険だと思って、わずか工業高校機械科出にすぎないけども、もう一度日本を世界に評価される国にしたい、新しい日本を作っていきたいという使命感をもって、政治をやってきたんだ。
そういう気持ちでやっていった人は、必ず人の気持ちを動かすよ。
僕はそれほどスケールの大きな政治家じゃないから、たまたま今回この大田原の市長に選んでもらって、大田原のみんなが幸せになれるような政治を目指していく。
僕よりずっと優秀な若い人には、この国のみんなが幸せになれる政治を実現するような、そんな政治家を目指してほしい。そうすればきっとまた日本はよくなる。
まだまだ捨てたもんじゃないよ、日本は。
−津久井さんご自身の認識では、津久井さんは優秀な人ではない?
ぜ〜んぜん。全然優秀じゃない。僕は普通より劣等生だよ。
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「志の高い若い人たちに政治家を目指してほしい」
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−国民の政治に対する関心が徐々に高まりつつあるとはいえ、政治に背を向けている人はまだ多いのではないでしょうか。
たしかにまだまだ多いね。
−そのように政治に背を向けている人に対して、候補者はどのようにアプローチしていけばよいのですか。
やっぱり相手の基根(きこん)に合わせて、というのが大事でしょう。
−基根ですか。
うん。今だってあなた(インタビュアー)の基根に合わせてお話をしているから、話が通じるわけですよ。
−自分が言いたいことを言う前に、まず相手を知ると。
そう。で、もしもその人が政治に背を向けているなら、その理由をお聞きする。なぜ政治に政治に背を向けているのですか? あなただって税金を納めているでしょう? どこに使われているのかぜんぜん関心ないんですか? と。
そうすると、僕の話にもだんだん耳を傾けてくれるようになる。僕の話を聞いて、とても楽しかった、嬉しかった、幸せだった、もっと聞きたいっていう人も出てくる。そういうときは僕も嬉しいし、嬉しさを共有できて、幸せな気持ちになる。
−津久井さんのお話を聞く人は、何が嬉しいのでしょうね。自分のことを理解してもらえるからでしょうか。知らなかったことを知ることができるからでしょうか。
違うの。あなたの心に僕の心がフィットするから。
−心がフィットすると、そのこと自体が嬉しい?
嬉しい。何の悩みもない人は、政治家の話なんて聞かないよ。でも、何の悩みのない人なんてほとんどいない。何かの悩みや恐れや苦しみは、誰だって持ってる。
じゃあ100人集まったら、悩みや恐れや苦しみはそれぞれ違うんじゃないですかって言われるんだけど、意外とおんなじなの。それはまさに、時代背景だよね。
−一対一で向き合う相手に基根があるように、100人集まったら、100人集まった場の基根がある?
そう。あれは不思議だね。
−そうすると話し始める前の段階として、その場の相手と気持ちを通じさせていく段階があるわけですね。
だって雰囲気ってあるでしょう。ああこの人はこんな感じだなとか。第一印象でわかっちゃうでしょう。
−政治に背を向けていた人に訴えかけて、政治に対する相手の認識が変わったという経験をしたことはありますか。
いくらでもあるよ。
−政治に対する認識が変わったとき、人はどのように変わっていくものなのですか。
政治に目覚めると、それなりの行動をするようになっていくよね。ああ自分も参加しなきゃっていう気持ちになるんだね。
政治って「まつりごと」っていうくらいで、ある面お祭りなんだよ。選挙戦になると、やっぱり人は燃える。
−ふだん政治に関心のない人でも?
ふだん政治に関心のなかった人こそ、気がつくと燃えちゃう。なんだこれは、別世界だぞ、と。これで世の中が変わるなら、こんなおもしろいことはないぞ、とね。
−それはおもしろいですね。
−市長を目指すのに適した年齢というのはありますか。
ないでしょう。25歳で市長になっても、それはできるんじゃないかな。
ただある程度人生経験を経てからのほうが、いろいろな意味で落ち着いた政治ができるっていうのはあるだろうね。あまり奇抜な政治をしないで済むというか、思い一念に駆られて極端な政治をしないで済む。
だから僕ぐらいの年齢がちょうどいいんじゃないかな。人生経験もそこそこ積んで、子供達も生み育てて、それから同僚の生き方だとか、年輩の政治家の行動だとか、若い政治家の行動だとかも見てきてるし。今の平均寿命からいくと、たそがれ期に入るにはまだちょっと早いけど、社会にご奉仕したいという、気持ちの上でのゆとりも出てくる。欲も少なくなって、精力的にも枯れてくるから、あまりスキャンダルも起きない。そういう部分で、比較的安定した政治ができる。
権力者にはいろいろな魔の手が伸びてくるからね。お金であったり、お酒であったり、ギャンブルであったり、男であれば女性であったり、そういう魔の手に絡めとられてしまう危険性が、若いうちはどうしても高い。権力者がそういう魔の手に絡めとられてしまうと、その被害は本人だけにどまらず、自分を支援してくれた人だとか、選出してくれた地域にまで及ぶ。
ただ人間いつまでも長生きできるわけじゃないし、今の時代に必要な方策をしっかり打ち立てて実現していくには、やっぱり3期12年ぐらいのスパンは必要だ。そうすると、50代で始めて60代で終わるとか、60代で始めて70代で終わるのが理想ということになる。
それこそ民主制が崩れて、そこらじゅうで民衆が行動を起こすほど激動の時代になったら、20代30代の人がリーダーにならないといけないんだろうけど、そんな時代は僕の目が黒いうちは来ないだろうね。
−最後に、明日から市長を務めるにあたっての抱負をお聞かせください。
今回の選挙の告示日のちょうど前日が、僕の60歳の誕生日だったんだ。若い頃から60歳まで生きられたらいいなって思って生きてきたから、これからの人生は、もう余りの人生。何のために生きるのっていったら、これはもう世の中への恩返しのために生きるしかないよね。
選挙はもう終わったんだから、選挙のときああだったこうだったっていう話は、もうよそうって今発信してるところなんだ。みんなで持っている力を合わせて、一緒にいい大田原を作っていこうって。
みんなが助け合って、慈しみ合って、豊かで平和で、幸せ感を味わえる。そういう政治を実現するのが、僕の理想。そのためには、僕ももっともっと努力しなくちゃいけない。先生、先生っておだてられたり、いろんな誘惑が来たり、そういうのに負けないように強くなっていかないといけない。
ある先生が「津久井さんは茨の道が好きなんだね」っておっしゃってくれてさ、そういえば子供の頃、山中鹿之助の本ばっかり読んでたのを思い出したよ。「我に七難八苦を与えたまえ」っていうあの言葉が子供心に響いてね。たしかに僕の道は他の人から見たら茨の道かもしれないけど、僕自身悔いはないんだ。ただやりたいことをやってきたんだから。
最後にやめるとき、みんなから「あぁ、いい政治家だったね」って褒められたら幸せだな。
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「これからの人生は世の中への恩返し」
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このインタビューは、市長に着任する前の津久井氏に、市長選を終えての個人的なご感想をうかがったものです。
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※ 取材日時 2010年4月7日