― トップ当選の勝因はズバリ何だと思われますか?
いちばんの勝因はやはり
家族とボランティアの行動だと思います。
私の父は体育教師、母は英語教師として、市内でたくさんの生徒と関わってきました。その教え子のみなさんが両親を慕い、協力してくれました。ある教え子の方は本人は東京在住なのにメールや電話で支援してくれたり、教え子の親世代なども
後援会に入会してくれました。
それは1,000を越える数字と見積もっています。義理ではなく熱のある票だったと思います。またボランティアの熱意と人数、寄付の数も群を抜いていたと思います。そうした前向きな陣営の雰囲気と地域を地道に歩いてまわっていたことが最後に新人への期待として大波になった、そんな感じでした。
|
勝因は『家族とボランティアの支援』
■ 家族とボランティアの熱心なサポート〜反対・協力・感謝〜 |
― 下田さんが選挙に出ると決めた時の、ご家族の反応などはいかがだったのでしょうか?
家族には、そういう方向でという感じで話はしていたかな。
『来る時がきたな』という反応でしたね。ハッキリいつなるということではなく、もし、そういうことになったら…といった話を日常的に家族と話し合ってはいたんです。そんなこともあって、家族はなんとなく政治家になるんじゃないかと思っていたようなんですよね。私の記憶では、そのために生きてきたとか、言い続けてきたとかはないんですが。ことあるごとに言っていたようです。 今思うとかなり楽観的だと思います。上手くいかないことをあまり考えなかったですね。家族に対しても、普通の人なら、完全に無職になることとか、子供を育てる環境を変えてしまうこととか考えると思うんですけど、まぁなんとかなるんじゃないかなと(笑)。
― 反対はされなかったのですか?
反対はないですね。話し合うたびに「家族には迷惑かけないから」と言っていたので。でも、実際に出馬を決めた後は色々とお願いして手伝ってもらったので、最後のほうは家族みんなから苦情がありましたね。「全然手伝わなくていいって言ったのに」と(笑)。
― ご家族の中でも、お父様は特に熱心に支えられていたように感じたのですが、お父様としてはどんなお気持ちだったのでしょう?
|
「元中学教師 父・正行、母・有美」
こどものためなら仕方がない、という気持ちだったと思います。63歳のからだで6キロやせ、靴も一つダメになったと聞きました。地域の政治の難しさも知っていたでしょうし、政治に関わったことで、離れていった知り合いもいたようです。
辛い思いをしながら応援してくれました。
父の人格のすごいところにつきるかもしれません。本当に感謝しています。
― 最後に今後の抱負などをお願いします。
一番は、私自身も東日本大震災を取材しているので、短い期間で限られてはいたけれど、災害が本当に命を奪うんだということを実感しました。
“起きてしまえば、信じられないくらいの悲しいことが起きる”のだと。 君津市議会議員になった今、防災対策として
防災の体制をしっかり作ることと、君津市の公立保育園が木造で大地震に弱いまま11園も放置されたままになっているんで、その
保育園を建て直すこと、この2つを大テーマにしていきたいと思っています。