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常在選挙。常に選挙に身を置く弊社代表が、3,000件超の候補者を見続け勝てる候補者、負ける候補者の違いを分析。さらに『90日で政治家になる具体的なノウハウ』などノウハウ満載の地方選挙に特化した選挙本がついに登場しました。
見た目は人を食ったタイトルですが、これは、政治、選挙に興味のない人に本書を手にとってもらい政治への興味のきっかけとなるような導入本としたが故。
28歳でなくても、新人、若手候補者に向けて、東西の選挙のプロフェッショナルをうならせ、ある選挙プランナーからは『これからはこの本を地方選挙出馬予定者のバイブルとして推奨します』との御声もいただきました。通常コンサルティングで、1.5時間5万円いただく筆者が、実際にコンサル現場で指南する基礎的な内容、アドバイスを盛り込んだ必読書。本気で本物の地方選挙攻略本として仕上げています。



フジテレビの報道記者、ディレクターを経て、神奈川県鎌倉市議会議員、神奈川県逗子市長(3期8年任期満了)と経歴を重 ねてきた長島一由議員。2009年9月、第45回衆議院議員総選挙に神奈川4区から出馬し、見事当選を果たした。これまでの選挙戦についてくわしい話をお 聞きする。
■ 報道記者として見た政治の世界 ― 「プロセスが明かされない体制に疑問」

― 本日はよろしくお願いいたします。長島さんが政治家を目指そうと思ったきっかけは なんですか。


ギアが入ったのは、フジテレビの報道記者をやっているときです。92年に政経部の記者になりました。政治家や官僚が会議室に出入りするのを待ち受けてイン タビューや中継リポートをするのが仕事です。いわゆる「番記者」というやつですね。ちょうど細川政権の頃でした。
取材を通して知ったことは、彼らはあらゆる政策に関して、唐突に「結果」だけを発表するということです。深夜1時にいきなり記者会見がはじまり、唐突に国 民福祉税構想が発表される。とにかくどうしてそうなったのか、政策決定のプロセス がわからないのです。
パワフルでいきいきと働く政治家たちの姿を見て、すばらしい仕事だとは感じていました。
しかし、もっと国民が納得できるような方法をとる必要があるのでは ないか…。それなら自分が当事者になって変えてやりたい、そう思いました。

― それからすぐに出馬を?

いいえ。ちょうどその頃、阪神大震災、地下鉄サリン事件と報道史上に残る大きな出来事が続き、報道記 者の私はまれに見る忙しさの中にいました。このまま人生を走り続けたら、あっという間に歳をとってしまう…。
政治家への思いとは別に、自分の人生をふりかえり、一度じっくりと勉強する時間をとろうと考えました。そして、大学院に入ったのです。一年間集中して、国 際政治学を学びました。(※長島氏は、93年に青山学院大学大学院国際政治経済研究科を、 98年に東京大学大学院国際政治学研究科をそれぞれ修了している)
そうしているうちに、知人に言われたんです。
「そんなに時間があるなら、今度の総選挙に出ればいいじゃないか」
最初は、冗談言うなよ、と思いましたね。
当時の私は、政治家の動向はよく見ていましたが、選挙のことはあまりよくわかっていなかった。まさか自分に出馬の可能性があるとは思っていませんでした。  

― 報道の立場にいても、選挙の実態というものは見えてこないものなのですか。

記者って、選挙のことは密着取材しないから意外とわからないものなんですよ。
報道記者としての私のはじめての仕事は、群馬の参議院選挙の出口調査でした。有権者の反応や流れは把握できても、実際に候補者がどのように戦い、工夫し、 勝ち抜いていくかは見ていない。
はじめて小選挙区になった時で、とにかく「党の公認と、金がいる」というぐらいにしか思っていませんでした。自分にはそんなコネも金もありません。だった ら、記者としてしばらく働いて金を作り、40〜50歳になったら転身するのがいい。そんな風に考えていました。


■ コネも金もないはじめての衆議院選挙出馬 ―― 結果は、落選

96年、長島氏は衆議院議員選挙に 初出馬する。それまでの中選挙区制に代わり、小選挙 区比例代表並立制がはじめて用いられた選挙だった。

― 初出馬の衆議院選についてくわしくお聞かせください。


決起集会
まずは選挙区をどこにするか迷いました。元々生まれ育った川崎市か、それともその時点で住んでいた鎌倉市か。徒手空拳とはいえ、少しでも選挙をサポートし てくれる仲間や後輩がいることや対抗馬の状況から神奈川4区を選びました。当然、コネなどありませんから、無所属です。それでもいい。思い切って出てやろ うと思いました。

― 思い切って出馬を決意できた理由はなんですか。

フジテレビは、選挙の休職ができるんです。会社をやめなくても選挙に出られる。だったら負けてもまた報道記者に戻ればいいし、 当時の自分は独身でしたから、大きなリスクは感じませんでした。
資金は、家を建てるために貯蓄していた1040万円。衆議院選挙の供託金は300万円ですか ら、その残りでできることをやろうと思いました。

― 出馬を決めてから、どのような行動を起こしましたか。

選挙に関してはまったくの素人でしたから、本当に一から手探りで進めていきましたね。
自分の選挙のイメージは、まず「ポスター を貼る」。そして「選挙カーでまわる」。ひとりじゃ厳しいだろうから、「秘書が必要」。
幸い、私には、大学時代のウインドサーフィン部の仲間がいました。協力してくれる後輩や、ありがたくも秘書を引き受けてくださる先輩も見つけました。
そしてまずは、ポスターを6000枚作って、手分けして貼りました。
それから、自分の政策や、記者の目線で感じた政治の現状を書いた新聞『週刊長島』を作りました。JR鎌倉駅ほか、毎週5箇所で朝6時半から9時まで演説し な がら配布しました。


長島氏は3ヵ月半に渡って新聞を配布しつづけた。当初は一駅300枚程度しか配布できず 「世間は冷たいな」と話していたが、気づけば一駅3000枚に。結果、この時の得票数は28656票。完敗ではあったが、無所属ながらよく善戦したとも報 道された。


■ 敗北から新たな決意、そしてフジテレビ退社、市議当選から逗子 市長へ

― ご著書『普通の人が夢をかなえる50のヒント』によると、この選挙の後、フジテレ ビにはもどらず辞表を提出、そして次期選挙への思いを新たにされたようですね。どのような心境だったのでしょうか。

有権者への感謝の気持ちが、私の政治への思いを確信させてくれたのです。
たしかに選挙には負けました。それまで自分を囲んでくれていた50人以上の協力者も、一夜明ければ、後片付けのために残ってくれた数人になりました。
自分には何もない。
でも、投票してくれた28656人の方への感謝の気持ちが残っていました。選挙活動中も、「がんばれよ」「期待してるよ」と声をかけてくれたり、手紙をく れた方もいらっしゃいました。負けた自分に対して「会社にもどっちゃうの?」と残念がってくれる方も…。
それまでテレビの世界にいた自分は、放送後の「視聴率」で世間の反応を確かめるしかありませんでした。でも、選挙の反応はダイレクトに伝わってきます。

― それで記者にはもどらず、選挙への道を?

そうです。負けたとはいえ、自分に一票を投じてくれた人たちに対する責任を感じました。
そして、政治家としてやっていけるとい う手ごたえも。これはもう、会社には戻れないな、と。


“退職届は、人事局長の目の前で記入 し、退職理由の欄には「一身上の都合 により」と記すと、局長の「長島らしくないな」というリアクション。そこで改めて、 「(次期衆議院議員選挙出馬のため)」と書き加えると、局長は納得した様子でした。”
(著作 『普通の人が夢をかなえる50のヒント』より)



有権者への感謝と、新たな決意を胸に『週刊長島』を配布し続けた長島氏。
そして半年後の97年、「次の衆議院選挙までやらせてください」と公言して、鎌倉市議会議員選挙に挑戦。結果、史上最高得票の6952票を獲得しトップ当 選。その後、衆議院選挙に挑戦するのかと思いきや、98年、31歳の時に逗子市長選挙に出馬、全国最年少市長として当選、大ニュースとなる。



全国最年少市長誕生の瞬間(1998年・逗子市)

― 「次の衆議院選挙までやらせてください」とまで公言した選挙から、一転、全国最年 少の逗子市長として3期8年の任期満了となるまで活躍されました。国政から地方に目を向けたのはなぜですか。

それまではがむしゃらに衆議院を目指していましたが、鎌倉市議を半年ほどやった時、気づいたんです。たとえ人口5万人の街だと しても、地方は小回りが利く。自分のやりたいこと、やらねばならないことを実現しやすいのではないか。どんどんモデル事業をやって、日本を変えていこう、 と。
それに、当時の自分はまだまだ若かった。国政に挑戦する前に、地方の首長としての経験をじっくりと積んでからでも遅くはないとも感じました。

― なぜ地元鎌倉市の市議でありながら、逗子市での出馬を選んだのですか?

有権者が変革を求めており、「争点」を明確にしやすいと判断したからです。
私が逗子市長選に勝ったときは、ちょうど小渕政権。変革を求める時期でした。逗子市長に当選した4ヵ月後には、石原都知事や小泉元首相などが誕生…そんな 時代背景がありました。
たしかに、地元に出るなら鎌倉市ということになります。しかし、当時の鎌倉市長は、与党的で自分と考え方が近かった。そこに同じ考えの候補者が出ても、焦 点がぼ やけて有権者には伝わりづらい。
その点、当時の逗子市長は、自分とは考え方が正反対でした。対抗馬として「自分はこれをやります!」と真っ向から勝負しようと考えました。選挙は、絶対評価ではなく、相対評価なのです。

― 「選挙は相対評価」とは言え、コネクションのない選挙区での戦いは厳しいものにな るのでは、と感じるのですが…。

たしかに、コネを頼りにアプローチする組織中心型選挙は、確実性が高いでしょう。しかし、私はもともとしがらみを持たない主義 です。小さな事務所と少ない資金で、不特定多数の有権者に向かっての街頭演説とビラ配りを中心に活動してきました。いわゆる「浮動票」を狙った「空中戦」です。
これはあくまでも例え話ですが、組織型の選挙が釣り堀のなかの魚を釣るようなものだとしたら、私のような空中戦の選挙は、大海原に糸を垂らすようなもの。 なんの保証もなく、一歩間違えれば泡沫候補となってしまいます。
ところが、たとえ大海原のなかの一本の釣り糸だとしても、政策がしっかりとしていて、朝から晩まであらゆるポイントに竿を出していれば、釣り掘よりもはる かに大漁という結果につなげることができるのです。
旧来型の選挙ではなく、浮動票で勝ちあがる選挙。それが逗子市長選で した。

当時は、「現職が勝つに決まっている」という見方が強く、議員も誰一人私の味方にはつきませんでした。だから、相手は油断していたんです。「鎌倉から乗り 込んでく る? まあ負けないだろう」と。
しかし、今だから話せますが、選挙3ヶ月に実施してもらった世論調査では私の方が4倍リードしていました。



■ 長島流 「選挙に勝つための戦略」

― 選挙に勝つためのポイントをお聞かせください。


「有権者が知りたいのは『この人はなにをしてくれ
るのか?』
これをパッケージで伝えることが大切」
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◆ マニュフェストとチラシ 
まず大切なのは、事前準備です。
選挙はただ目立てばよいものではありません。なによりも「この人はなにをしてくれる 人なのか?」。有権者にこれを理解してもらわなければ勝てません。就職活動と共通する部分があります。「あなたはこの会社に対してなにをし てくれる人なの?」というやつです。
選挙の場合は、これを有権者全員に対して明確にすることが絶対条件で す。
自分のビジョンや政策を明確にするためには、チラシと演説が効果的です。
その頃はまだ一般的ではなかったマニュフェストを作り、配布しました。手にとって読めるパッケージで政策を伝えることは大切です。
「鎌倉市議なのに、逗子市長なんて勤まるの?」と思っている有権者に対して、納得していただけるだけの政策をPRする。そして、「ここまで考えているのな ら大丈夫だ、投票しよう」と感じてもらうのです。


 表現ひとつで印象の変わる街 頭演説 
演説にも工夫がいります。表現ひとつで印象が大きく変わるのです。
たとえば「絶対に負けません!」と叫ぶ候補者と、「絶対に勝ちます!」と堂々と演説する候補者。
迷った場合、どちらに投票しようと思うでしょうか。
やはり、力強さを印象づけられるのは後者です。演説している本人にとっても、後者のほうが士気が高まります。結果、そのパワーは有権者に伝わります。


◆ 選挙の明暗を分けるのはポ ス ター 
そして、もうひとつ。選挙特有なのが「名前を書いてもらわなければならない」ということです。そこで重要になるのが、やはり選挙用品です。名札、のぼり、 ポスター。中でも、もっとも重要なのは、ポスターです。ポスターの出来が、選挙の明 暗を左右するといっても過言ではありません。

― 選挙に勝つためには、どのようなポスターを作ればよいのでしょうか。


2009年衆院選でのポスター
「勝てるポスター」は一日では撮れない
ベストショットを撮る。これに尽きますね。
しかし、ベストショットと言っても、ただかっこよく撮れていればいい、というわけではありません。
選挙は、タレント活動とは違って単なる人気投票ではありません。顔の美醜や親しみやすさではなく、そこに法律や制度を策定し、ときには利害の対立する意見 をまとめていける、そんな賢さやしたたかさがにじみ出ていなければならないのです。
じゃあ、ベストショットを撮るにはどうすればよいのか。
たいていは、広告代理店や印刷会社に依頼して、プロのカメラマンにたくさんの写真を撮ってもらい、そのなかからベストの1枚を選択してポスターに使いま す。でも、これではダメなんです。私のやり方は違います。

― ずばり、「勝てるポスター写真」の撮り方を教えてください。

同じ日の顔をたくさん撮るのではなく、何日にもわけて、違う日の写真を違う場所でたくさん撮るのです。
人間の顔は、その日の体調によって表情が違います。寝不足でもダメだし、「明日は写真を撮るからしっかり睡眠をとるぞ!」と意気込んで、逆に目が腫れぼっ たくなってもダメ。その日の体調、体重、精神状態などによって、まったく違う写真が撮れるのです。
同じ100枚の写真を撮るなら、一日でひとりのプロカメラマンに100 枚撮ってもらうのではなく、何ヶ月にも渡っていろんな街のいろんな写真屋さんに通 い、10枚の写真を10回に分けて撮影する。
その中のよりすぐりの1枚を選んだほうが、ベストショットを獲得できる可能性が高まるのです。さらに、ベストショットを絞り込む作業にも、工夫をしまし た。

― よりすぐりの1枚を選ぶために、どのような工夫をされているのですか。

まず、ポジの段階で3〜5枚を選択し、実際のポスターの大きさに印刷してもらいます。
出来上がったゲラ段階のポスター大の写真を、壁に貼ります。そして、なるべく多くの人に、どれがよいかを選択してもらうのです。
選挙ポスターは、机の上に置いて見ているのと、掲示されて真横からや、少し上から眺めるのとではまったく感じが違います。できるだけ、街に貼りだした時と 同じ状態にしてから選ぶのです。
また、本人が気に入っている写真と、他人が見ていいと思う写真は、異なります。誰しも自分のことは冷静に見られないもの。客観性をもって用意周到に選ぶこ と、これが大きなポイントです。


逗子市長選でのショット
ポスターについては、いまだ研究中です。
以前は、メガネをかけた写真を使っていましたが、メガネのデザインが年配の方に受け入れづらいという意見を受けて、変更しました。選挙には万人受けするも のが必要ですから。

― 選挙用品のほかには、どのようなポイントがありますか。

◆ 臨機応変な 対策 

選挙しながら、臨機応変にどんどん対策を立てたことです ね。
支持率と有権者の声をチェックし、ポスターを途中で変更したり、トライアスロン用のウエアを着て、自転車で市内や海岸を走り回ったり。最初は、TPOを考 えて、駅前に立つときは普通のビジ ネススーツに着替えていましたが、有権者の反応を見ながら自転車用のウエアのまま演説をすることもありました。ウエアも同じものを2着買って着回しました よ。






全国最年少市長とし て活躍した長島氏。3期8年の任期満了となったの ち、米国ワシントンブルッキングス研究所客員研究員を経て、2009年、第45回衆議院議員選挙に神奈川4区から民主党公認候補として出馬。有力と言われ た対抗馬を退け、見事89,082票で当選した。



街頭演説の様子


「万歳!」


■ そして、衆議院へ


いざ、国会へ!
― 今回の衆議 院議員選挙について、ご感想をお願いいたします。

なによりも地道に活動してきた成果。そして、自分に風が吹いていた、ということですね。
地方選では「完全無党派です」と言って戦ってきました。しかし、国政は政党の看板を前面に出して戦うという大きな違いがあります。政権をひっくり返すに は、ウイングを広げなければなりませんから。
国会議員になってみてわかったことは、議員は世間が思っている以上に、とてもキレイに働いているということです。報道記者の時代、私は政治家に対して酸い も甘いも…といったダーティなイメージを持っていました。でも、実際には志高く、決断力とリーダーシップに満ちた議員がほとんどです。自分もそうありた い、と思っています。

― 過去6回の選挙を経験されてきましたが、「これだけは変わらない」という部分はあ りますか。

企業献金は1円たりとも受けない、ということです。
逗子市長だった時は、それがたとえ合法的な献金だったとしても、市長という権限の大きさから、攻撃の対象になる恐れがありました。そんなお金で大きなもめ ごとが起きるのなら、最初から受け取らない。しがらみは持ちたくありません。
結局、逗子市長に就任してから、そして衆議院議員になった今も企業献金はもちろん、個人の献金・カンパを含めて1円たりともいただいておりません。



■ モチベーションを保つ方法 ― 「休む勇気、休む技術」


愛する家族との時間も選挙には
大切な「息抜き」のひと時


ウインドサーフィンでは
全日本選手権1位、世界選手権
3位
というアスリートでもある
― 長島さんの お話を伺っていると、不屈のエネルギーと勝利をつかみとる集中力を感じます。そのモチベーションは、どのように保たれているのですか。

「やっていれば必ず報われる」という経験則が大きいですね。限られた人生の中では、目標に向かって一心不乱に突っ込んでいけば、必ず成果が出せる、と私は 信じています。
あとは、息を抜くことですね。
成果を出している人は、みんなそうです。遊ぶこと。私なら、ウインドサーフィン、釣り、キャンピングカー、そして仲間と飲むことです。すべてを忘れて楽し む時間を持つことは、本当に重要です。選挙の直前でもあえて旅行に出かけることもあります。

― 選挙の直前に旅行? 心配にはならないのですか。

選挙の本番は四六時中ひとまえで活動することになります。特に、有権者の心に届くメッセージを伝えるには、説得力のある練られた言葉をどれだけ「情熱」を 込めて話せるかがカギを握ります。
このためには何よりも「集中力」が欠かせません。
よく、活動していることそのものが精神安定剤になってしまう人がいます。とにかく活動していれば、安心するんです。朝から晩まで街頭に立ち、声を枯ら す…。
私は、それではいけないと思います。
人間は常にハイテンションでいることはできません。睡眠時間が足りなければ、どうしたってモチベーションは下がります。それなら、いつ、どこで、誰と出 会ったときも、一番いい状態でいられるようにする。だから、きちんと休まなければいかないのです。
選挙に強いかどうかは、休む勇気と休む技術があるかどうかに かかっています。


■ 国会議員としての抱負

― 本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。それでは最後に、長島さんの今 後の抱負をお聞かせください。

ビジョン無き実行は単なる行為に過ぎない。
実行無きビジョンは単なる夢に過ぎない。
ビジョンと実行が伴って初めて世の中を変えることできる。
  
私の好きな言葉のひとつです。
長期的には税金や年金を納めることに対して、国民が納得できる国にしたいと思っています。今の日本の満足度は、他国に比べて低いと思います。
そのために必要なこととして、逗子市長時代、就任当初から「情報公開日本一」を掲げて、実際に4年で達成いたしました。
今度は、国会でこの経験を活かし、本当に「開かれた政府」を実現し、税金や年金を納めることに対して納得できる国、国民からしっかり信頼される日本を構築していきたいです。

また、短期的にはマニフェストを誠実に実行すること。
もし、状況や民意の変化などにより修正することがあるならば、丁寧に説明責任を果たしていくことです。

さらに政権交代後、大きなフレームとしては
(1)ふるい仕組みをぶっ壊す
(2)新しい産業や仕組みをつくる
(3)未曾有の経済危機を乗り越える
この3つを同時に成し遂げなければならないという大変ハードルの高い使命が課せられています。ピンチをチャンスに変えるために、全力を尽くします。

長島一由


長島一由(ながしまかずよし)
民主党神奈川県第4区総支部総支部長。
フジテレビの報道記者・ディレクターを経て、98年に全国最年少市長として神奈川県逗子市長に就任。06年12月に勇退するまでの8年間に、逗子市を日本 経済新聞社の透明度ランキング全国1位、効率化・活性化度ランキング全国1位(共に全国約700地方自治体中)にするなど、市民と共に地域再生に取り組ん だ。
近刊として『浮動票の時代』(講談社)、『フィルムコミッションガイド』(WAVE出版)、『普通の人が夢をかなえる50のヒント』(ポプラ社)がある。





長島様、本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

※ 取材日時 2009年12月
※ 制作:カスタマワイズ
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